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雑記

ある人のべき論

今日は、ある教授と30分ほどお話をしました。



世の中に頭の良い人はたくさんいる。

そんな中で戦っていくには、他の人が諦めた状況でも最後まで諦めずに粘れるかが大事だ。

頭の良い人は、頭が良いがために早めに諦めをつけてしまうことがある。それは、「うわ、自分より頭いいやついっぱいいるよ…」という瞬間だ。どこに行ってもそれは起こる。だから、その諦めを感じた瞬間がスタートラインだとも言える。



なぜ教養を身につける必要があるのか。

一般教養の勉強に意味がないなんてことはない。

社会に出ていろんな人と競争したり協働したりする際、相手の文化をリスペクトすることは重要だ。

相手への尊敬がないと、自分への尊敬はしてもらえない。それでは良い仕事ができない。



資格は、その資格を得るための過程を経てきたことの証明だ。一つ一つ時間をかけてやってきたことの証明だ。

博士課程は資格というより、その人が書いた論文が証明になる。

色んな論文を読み込み、自分の論文を英語で書く。これは大変なことだ。

○○万円渡されて「はい、これでやってね」と言われてすぐに結果を出せるものではない。何年もの時間をかけて地道な努力をしないと書けない。

その点では、企業などから見れば学部も修士も大差なく役には立たない。海外の連中と厳しい競争をして勝っていくには、それなりのものが要る。



就活での採用側から見ても、学部生はたいていが同じことを書いていてつまらない。何か違ったことがあると目をひくが、単体では微妙だ。だから何かと何かが組み合わさっていると面白い。例えば「○学部卒」×「クレーン操縦できる」とか。これが出来るなら、あの現場に行かせることもできるな、とかいろいろ想像することが出来る。らしい。

その点、博士過程は多くを語らずとも、論文を読めばその人がどういう人で何をやってきたかがよく分かる。



何をするにしろ、例えば会社に入った場合、社長を目指すべきだ。

役職が上がるということは、果たせる責任の範囲が広くなることだ。

社員とその家族や、市場の顧客に幸せになってもらうためには、大きな責任を果たしていかなければならない。

果たせる責任範囲が広がるには、色々な経験を積んで出来ることを増やすしかない。



すべては人を幸せにするために必要だ。人の役に立って幸せにすることが一番重要だ。

そのためには、1日1日、365日こつこつ毎日積み重ねていくしか方法はない。





言葉選びの記憶が曖昧だったり自分の解釈になってたりはしますが、そんなような話をされました。


論文や資格に限らず、自分のアウトプットがその人の証明になるというのは前からとても納得。

詩でも絵でもパワポでも物でも踊りでも、何かしらアウトプットし続けなければ成長はない、とも感じました。