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雑記

勉強するのは何のため?−僕らの「答え」のつくり方

昨日の分ということで。

『勉強するのは何のため?−僕らの「答え」のつくり方』 / 苫野一徳 を読みました。

 

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様々な問いに対して、絶対的な正解も不正解もない。あるとすれば、「より多くの人が納得できる解」だ。

この本のタイトルに対する一つの解は、「自由になるため」だ。自由に生きるにはそれなりの力が必要だ。学校で学んだことは社会において何らかの役に立つ。もしくは、いつか必要になるかもしれない。例えば、微分積分が何の役に立つ?と思うかもしれないが、建築などに必須である。他にも、学校で勉強したことの延長線上にある知識や知恵の上に社会は成り立っている。

 

また、学力とは、学ぶ力。記憶力などは学力の一部であるが、本質とは言えない。

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といったことが印象的な内容でした。少しでも自分の生きたいように生きるために(自由に生きるために)、勉強しつづけるものだという主張ですね。

鳥を見ていて「鳥は自由に空を飛べて良いなぁ」と思うことがあるんですが、鳥だって過酷な世界に生きているはずですよね。単純に飛ぶ技術は生まれ持った体と本能で身につくとしても、食料の取り方・取れる場所、気流を読む力、他の動物の存在、あと渡り鳥のことなんかを考えると、地理的な構造、安全or危険なルートはどこか、休憩地点はどこか、など様々な知識 経験 知恵が必要なはずです。それらを学ぶことで何とか生きていけるはずです。

人間も自由に生きたければ、その実現に必要なものは書や人や自然から学んだり、自分の経験を内省して身につけていかなければならいんですよね。

 

あとこの本のタイトルに対する一つの解として、「その答えを自分で見つけられるようになるため」というのもあると思います。

「なんで勉強しなくちゃいけないの?」「その答えを自分で見つけられるようになるためだよ。」勉強をすることで問いが生まれ、解を見出すために勉強する。循環しているようですが、これも一つの解だと思います。