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雑記

沈黙-サイレンス-

一昨日、『沈黙-サイレンス-』を観てきました。メンズデー最高。

 

chinmoku.jp

 

PG12なだけあり、難解かつエグイシーンがいくつかありました。江戸時代初期、キリシタン狩りが行われていた頃のお話です。

「死や苦しみがあるとしても自分の信念を貫き通すか、生きるために曲げるか。」それが、監督のメッセージのひとつだと自分は感じました。

 

音楽なし

タイトルがタイトルだからか、作中BGMがひとつも流れませんでした。聞こえてくる音は虫の鳴き声や海の波音など自然的なもののみ。音楽は、場の雰囲気やキャラの感情を表現する大きな力になるものですが、この作品においては、それナシでも3時間近い上映時間、場を持たせることに成功していました。「長い」とは感じつつも、飽きることなく、最後まで見ることが出来ました。これは監督や演出の高度なテクニックによるものだと思います。

 

笑いもなし

音楽と並び、「笑い」もなかったです。多くの映画では、種類こそあれど、思わず笑ってしまうシーンがあるものです。もしくは、「あ、ここ笑わせようとしてるな」というシーン。しかしこの作品においてはそれは一つもありませんでした。これまた凄いのですが、それでもやはり3時間近い時間、"もたせる"ことに成功していました。あっぱれ。

 

では何があったのか

音楽も笑いもなしに、何で3時間が構成されていたのか。思うに、緊張、悲痛、安堵、そして問いかけ、だと思いました。

役人がキリシタンを拷問するシーンがいくつもあり、キリシタン側の視点で見ている観客は何度も心を痛められます。それと対になって話のテンポを生むものは、ところどころに入る安堵できるシーン。村の移動に成功したり、仲間が増えたりするシーンです。そしてやはり問いかけ。「あなたならどうする?」「この人はどうするべきか?」「正しいのはどちらか?」など、考えさせらえるシーンが多かったように感じました。即座に答えの出ない問いばかりですが、凄惨なシーンとともに現れることによって、日常生活では問われることのないものだと思いました。

 

作中では敵-味方の構図的に、いかにも役人が悪でキリシタンが善、的な雰囲気があるのですが、一概にそうとは言えません。井上筑後守という悪そうな偉い役人が出てくるのですが、彼の言う「キリシタン狩りをする理由」は納得できるものでした。さらにのちに出てくるフェレイラ神父も言う「日本でキリスト教が根付かない理由」も納得できるものでした。立場や国が違えば考え方も違い、それゆえ信仰の対象も変わってくるのです。

 

また、友人曰く「人間の行動指針は宗教である」というメッセージを感じたそうです。これはけっこう腑に落ちました。キリシタンたちは日ごろから祈ったり告悔したり、宗教的儀式が日常に溶け込んでいましたし、棄教or死を迫られるシーンでさえ、死を選ぶ者もいました。現代の日本人にはピンと来づらいですが、宗教は人間の相当強力な行動指針となっていたようです。

 

終盤、主人公のロドリゴは苦渋の末に棄教を決断し、拷問にかけられている人々を救います。それ以降は日本人として生き、日本で仕事をして生涯を遂げ、日本式の火葬で葬られます。しかし最後のシーン、棺桶の中で彼の手の中には、持っているはずのない十字架が。その意味深な描写をもって幕を閉じます。

これは、彼はうわべでは棄教したふりをして心の奥底では信仰を捨てていなかった、ということなのでしょうか。それとも、本人は棄てたと思っていても、棄てきれないほど根深いのが宗教であるということなのでしょうか。それは、僕には分かりません。し、誰にも分からないのではないでしょうか。まさに「神のみぞ知る」です。